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書評

トニー・ローソン著

八木紀一郎監訳、江頭進/葛城政明訳

『経済学と実在』

日本評論社2003刊行

『東洋経済』2003.11.22. 58

 

 

 主流派経済学の手法を批判しつつ、経済社会学的な思考を方法的に基礎づけようとする意欲的な著作である。現代制度学派、ポスト-ケインズ派、オーストリア学派などに共通する異端経済学の本質をつかみとり、その中心テーゼを「超越論的実在論」という観点から新たに展開する。

 とりわけ著者が執拗に論じるのは、現代のゲーム理論やシミュレーション研究を含めて、数学的手法の普遍的妥当性を信じて疑わない主流派経済学の致命的欠陥についてだ。演繹的な数理が経済学の基礎を提供するという考え方は、一部の形式主義者たちの熱狂にすぎない。またデータと理論の対応関係を重視する実証主義も、現実を捉えるものではない。なぜなら現実は、たんに経験的なデータから成り立つのではないからである。

著者によれば、複雑な社会を理解するためには、データの背後にある構造や力や傾向やメカニズムといった、「現前しない実在(リアリティ)」に焦点を当てなければならない。これまで主流派経済学は、「予測と説明」のために経験的なデータに関心を寄せてきたが、これに対して本書は、実在の次元にある潜在的可能性に光を当て、社会の「理解と解放」を志向する。社会の主体的変革を促すために、現象の背後にある潜勢的で豊穣なリアリティに目を向けるべきだ、というのである。

そうした変革科学のための具体的例証として、著者はキーボード配列の経路依存性や、イギリス労働組合の歴史について、検討を試みている。

例えば、パソコンのキーボードの配列がなぜ現在の状態に落ち着いたのかについて、主流派の経済学者であれば、それが最も効率的な仕事をもたらすから、と答えるだろう。しかし現在のキー配列は、タイプライターの改良過程で偶然生まれたものにすぎず、もっと効率的なキー配列も可能である。ところが複雑な社会においては、人々の利害が社会構造や慣習的要因によってロックイン状態に陥り、潜在的に可能なシステムが実現していない。同様のことは、イギリスにおける労働組織にも当てはまる。その分散的な編成は最適なものではなく、生産性の上昇を抑制する状態に留まってきたというのである。

 このように、社会の潜在的可能性と現実のギャップを理解する試みは、同時に、それを解消するための政策論議に貢献するであろう。すぐれた社会科学は、人間のすぐれた実践を導くものでなければならない。本書はそうした関心をもって、科学(認識)と主体(実践)の新たな関係を述べ直している。まさに経済学方法論の新スタンダードと呼ぶに相応しい著作の出現だ。

 

橋本努(北海道大助教授)